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横浜弘明寺商店街のご紹介②(YOKOHAMA商工季報2019秋号)

横浜弘明寺商店街:まちの歴史編

 横浜最古の寺院である弘明寺観音のもと、京浜急行と横浜市営地下鉄という二路線の弘明寺駅をつなぐ横浜弘明寺商店街。令和の時代を迎えても変わらない〝下町人情〟が魅力的な街の歴史を遡ります。

●弾圧を受けた弘明寺とその復興

 〝古刹・弘明寺の参道〟となれば、はるか昔から栄えていたのだろうと誰もが想像することでしょう。けれども、意外なことに横浜弘明寺商店街に今のような賑わいが生まれたのは第二次大戦後だと言われています。弘明寺の43代目住職・美松寛昭さんにお話を伺いました。
 「1000年近い歴史をもつ弘明寺ですが、1868年の神仏分離令による廃仏毀釈の対象となって弾圧され、寺宝は散逸し、住職のいない時期が続きました。1901年に弘明寺保勝会という会をつくって、寺の復興のために尽力してくれたのが近隣の有志の方々。大岡川の両岸に桜を植樹してくれたのも、この会の皆さんだったそうです。1911年には、当時の県知事・周布公平氏の指示で弘明寺の仁王門から鎌倉街道に至る農道が整備されました。この道が今の横浜弘明寺商店街です。とはいえ、戦前はまだ商店もまばらで、今のような賑わいはなかったそうですよ」。

弘明寺の本堂

●戦後の闇市から商店街へ

 第二次世界大戦では幸い戦災を免れましたが、空襲に備えた延焼防止策として通りの南側にあった建物はすべて強制撤去されました。終戦直後、この空き地に出現したのが闇市です。
 大正時代にすでに市電の終発着駅となっていたり、数々の学校が建設されて文教地区になっていたりと、人が集まる素地のあった弘明寺。加えて、市内中心部の大きな商店街が空襲で焼失するなどいくつもの理由が重なり、闇市には多くの人が集まりました。これが今の商店街の原型です。
 細井履物店・二代目店主の細井靖行さんが幼少期の記憶を語ってくれました。「うちは戦前から大岡川にかかる観音橋のたもとに屋台を出して、親父が行商のような形で下駄を売っていました。私は1942年生まれで、記憶があるのは終戦直後からですね。モノがない時代だから、いくらでも売れたんですよ。親父は眠くて眠くて柱に寄りかかりながらも下駄に鼻緒をすげていました。その背中をよく覚えています」。

取材にご協力頂いた細井履物店 二代目店主の細井靖行さんと奥様
昭和20年代、まだアーケードが無い当時の商店街。観音橋から鎌倉街道方面を臨む

●初代から二代目へ託されたバトン

 参道にはあっという間に商店が建ち並び、終戦の年のうちに現在の商店街協同組合の前身である「銀星会」ができました。それから2〜3年の間にはネオンやすずらん灯が並んだといいます。
 「当時の一番大きな出来事は、1956年に〝東洋一〟と言われたアーケードを新築したことですね。終戦から10年、街に勢いがあって何でもうまくいった時代です。親父たちの代はみんなで団結して先を見ていましたね。もし露店のままでやっていたら、今の商店街はなかったと思います(細井さん)」。
 寝る間を惜しんで働く一代目を見て育った細井さんたち二代目は、昭和20年代、まだアーケードが無い当時の商店街。観音橋から鎌倉街道方面を臨む1972年に若者たちの集まり「弘友会」を結成しました。
 「親父たちの世代は、若手の意見もどんどん取り入れて、なんでもやらせてみるようなところがありました。私たちも面白がって、やれることはなんでもやろうって。市電の花電車を真似して、自家用車に宣伝文と飾りをつけて街を走り回ったりね。僕が弘友会の会長だった1991年には、顧客管理のできる磁気のスタンプカード〝プラスoneカード〟を作りました。そんな仕掛けが今の商店街の元になっています(細井さん)」。
 1999年に初代アーケードの架け替えを行ったのも、細井さんたち二代目世代です。「このときは、アーケード改築に合わせてインフラも整備しました。年に2、3度、台風のときに大岡川が氾濫して水が商店街に流れ込んでくるんですよ。これは行政にも入ってもらって治水しました。行政との協力体制も昔からしっかり出来ているんですよ(細井さん)」。

1956年に完成したアーケード。当時は「東洋一」というふれ込みだった
昭和20年代後半、3輪トラックのパレードで商店街を宣伝
ぷらすoneカード導入開始を記念したセレモニー(1991年)

●観音様あってこその商店街

 商店街ではどの方にお話をうかがっても、必ず「観音様あってこそ」という言葉が聞かれました。
 「毎月8日は特別に護摩を焚くのですが、そのときは商店街の方々がお茶と和菓子で信者さんを接待してくださいます。商店街の行事に私が出て行ってご祈祷することもありますよ。お寺と商店街がお互いに行ったり来たりしながら一緒にがんばっているのは、昔も今も変わりませんね(美松住職)」。
 商店街を支える主力メンバーは、いま三代目にうつっています。ここで育った幼なじみたちが手を取り合い、新規出店した店主たちも巻き込んで新たな盛り上がりを見せている横浜弘明寺商店街。そのスローガン「人情・下町・門前町」はこれからも変わりません。

弘明寺ご本尊の本尊十一面観世音菩薩立像